残業ばかりだったり休日出勤が多かったりするような、忙しい会社に未来はない。
なぜか?
今後、会社と従業員の関係は、金と労働力を交換するだけのシンプルな関係になる。そうなったとき、仕事が忙しいと人生を充実させるために時間を使えなくなるからだ。
仕事が忙しいと不幸になるともいえる。
会社が社員の私生活の面倒をみてくれる時代は終わった
昭和、平成初期の会社は社員の生活をバックアップしてくれた。
退職金と企業年金にボーナス、さらに社員旅行などの社内行事も豊富で、結婚相手を探す場としても機能していた。
いわば会社が社員の生活をバックアップしてくれたのだ。
だから残業・休日出勤が当たり前のモーレツ社員でも、結婚をして家族をもってある程度の人生を歩むことができた。会社に勤めているだけで、それなりに人生を充実させることができたのだ。
もちろんその人生が本人とって幸せなものだったかどうかはまた別の話であるし、そもそも幸せかどうかを考える暇もなく定年を迎えた人もいるだろう。また「過労死」という言葉を生んだシステムだったことも忘れてはいけない。
それでも会社が1つの大きなとしてコミュニティとして、社員の人生を充実を補助していたことは間違いない。
令和の会社は、金をもらうための場所でしかない
今の会社に社員の人生をバックアップする余裕はない。
また社員だってそれを望まない。
今の会社は余計なことを極力なくす方向に向かっている。社員旅行なんてものはまずないし、社内での飲み会も減る一方で、社内行事なんて言葉が死語になりつつある。
またセクハラ、パワハラの危惧から社内でのコミュニケーションは最小限になっていく。誰も余計な会話はしない。そのうち業務に関係する話題以外は話さない・話せないようになるのではないだろうか。
もちろんこれは良い側面もある。無休で不要不急の飲み会に付き合う必要もないし、面倒な上司とクソの役にも立たない会話を聞く必要もない。「会社は給料をもらう場所」と割り切っている人によっては良い変化だろう。
一方で、会社を通した人間関係はどんどん希薄になっていく。プライベートでも会えるような人を社内でみつけることはできないだろう。「社内恋愛」は古の慣習になるだろう。「社内で恋愛? そんなタブーが許された時代があったのか…」と昭和のトレンディードラマを振り返るかもしれない。
これからの会社に仕事、金以外の要素はいらない。
社員は労働力を提供し、会社からその対価として給料をもらう。スーパーで惣菜を買うのと同じ、単なる物々交換になる。令和の会社と社員の関係は、そういった非常にわかりやすい関係になるだろう。
楽しい仕事や貴重な経験が身につく仕事なら忙しくてもいいが……
「忙しい会社は絶対悪である」といってるように思ってしまうかもしれないが、楽しい仕事や、仕事から多くの経験や知識を得られるのであれば、忙しくても薄給でも、いいのではないかと思っている。
たとえば、IT業界で起業したいと思っている人が、ホリエモンこと堀江貴文の下で働けるのであれば、給料が少なくても忙しくても、貴重な経験を得られるだろう。
仕事のなかには、あきらかにお金以上のものを得られる仕事がある。それを「薄給だから」「忙しいから」という理由だけで辞めてしまうのはもったいない場合もある。
ただし、「やりがい搾取」という言葉もあるように、やりがいを縦に給料や時間を搾取される可能性もある。
「忙しくて給料が少ないが、それでもやりたい仕事」を選ぶのは自由だし、時にはそういう選択も必要かもしれないが、自分の時間と体力が搾取されていないか、常に注意を払うべきだろう。
人生は会社の外で充実させる時代
会社は社員の人生をバックアップしない。会社は生活費を稼ぐための場所になる。
つまり、自己実現や社会参加、人間関係の構築は会社外・仕事外で行うことになるのだ。
仕事終わりにオンラインの仲間とオフ会をしたり、新しいビジネスをはじめたり。婚活パーティーに参加したり、マッチングアプリで知り合った人と飲んだり。「金を稼ぐ」以外のいとなみすべて会社外、それが当たり前になる。
そんな時、忙しい会社に就職してしまうと、オフ会にも飲み会にも、婚活パーティーにも参加できない。忙しい会社・仕事では、人生を充実させるために時間を使えなくなるのだ。
寝て食って働くだけの経済動物になりさがらないために、仕事は忙しくないほうがいい。
残業ばかりで休みがない仕事というのは、副業禁止の会社と同様に選ぶ価値がない。そういった仕事からも、優秀な人はどんどん離れていくだろうし、そうなれば忙しい会社には未来がないということになる。
仕事がつまらなくても、やりがいがなくても、時間さえあれば色々なことに挑戦できる。やりたいことがあるなら、仕事をさっさと終わらせて余った時間でやればいい。
時代は忙しくない・会社を選ぶべきなのは、それが理由だ。