「親が意見を押し付けてくる」
「親が自分の意見に反対してくる」
自分のやりたいこと親の意向が食い違っていたり、親に意見を押しつけられることがある。
そんなとき、親が意見は無視してもいいのだろうか?
それとも従ったほうがいいのだろうか?
結論からいえば親の意見は必ずしも従う必要はない。あなたは親の奴隷ではないのだから。自分の人生は自分で決める権利がある。
しかしながらなんでもかんでも無視すればいいという問題でもない。どれだけ目障りな親でも、あなたと血がつながっており、簡単にはなれることができる存在ではない。できることなら話し合って納得してもらうべきだろう。
しかし話し合ってもまったく納得してくれない親や、そもそも話し合いの余地すらない親、いくら話しても納得してもらえない状況のときもある。
そんなときは、自分の意見を優先させてもいい。あなたの人生はあなたのものだ。自分の人生なのだから、自分で決める権利がある。
この記事ではそれを踏まえた上で、親の意見を聞く必要がない理由を3つ紹介していく。
理由1:失敗しても親は責任をとってくれない
仮に、親の意見にしたがったとする。
それであなたの人生が台無しになってしまったとき、親は失敗の責任を取ってくれるだろうか?
たとえば、親の助言でブラック企業に入社したとして、親が次の会社を紹介してくれるだろうか。
親の助言で結婚に失敗したとして、親が別の相手を紹介してくれるだろうか。
おそらくそこまではしてくれないだろう。
「それは残念だったね」というか、もしくは「自分のケツぐらい自分で拭け」というだろう。さんざん意見をしておきながら。
親の意見にしたがって失敗したとしても、親が時間を戻してくれるわけではない。
もちろん失敗の原因を親に押し付けるのも良くない。だからといって親は口だけで何もしてくれない場合が多い。
ならば親の意見にしたがうのではなく、自分が納得できることをすべきではないだろうか。それならば失敗しても、自分の選択なので納得できる。
「親の意見なんて無視しておけばよかった」と後悔することもない。
うるさい親に困っているなら、ぜひ聞いてみてほしい。「失敗したら責任とってくれるの?」と。
理由2:親の意見が正しいとは限らない
親は自信満々に意見するだろう。「お前より長く生きているんだから正しい」と。
しかし長く生きている人間が常に正しいとは限らない。「老害」という言葉があるように。
昔の常識は、たいてい現在に通用しない。
「持ち家が絶対ではない」「結婚が絶対ではない」「親になることが絶対ではない」「就職が絶対ではない」など。
今は色々な生き方ができる時代だ。
生涯独身でもいいし、YouTuberになってもいいし、同性と付き合ってもいい時代だ。
スマートフォンも、SNSもなかった時代に生まれ育った親の意見が、正しいなんてことはない。正しくないとわかったら無視してもいい。そもそも「自分の主張が正しい」の根拠が「長く生きているから」というのはまったく支離滅裂だ。もちろんそんな愚かな人間は、多くはないだろうが。
親は別の時代を、別の世界を生きた人間
時代が変われば、良しとされる価値観も変わる。戦時中は国のために命を落とすことが素晴らしいとされていた。弱音を吐いて逃げてきたら非国民だとののしられた。
しかし今はそんな時代ではない。会社が嫌なら辞めても。上司が嫌なら文句をいったっていい。日本が嫌なら海外で暮らしてもいい。
時代が変われば価値観は変わる。もちろん時代が変わっても変わらない価値観はあるが。
あなたの親が生きた時代と、今はまったく別の時代で、良しとされる価値観も違う。
親の意見は別世界の意見ととらえてもいい。そんな別世界の人の意見が正しいとは限らない。
もちろん親が証券アナリストで資産運用についての意見だったら、正しいのかもしれない。親がキャリアアドバイザーなら、就活に関する意見は正しいかもしれない。
しかしあなたの親は、すべての物事に精通したスーパープロフェッショナルではないだろう。親の意見に黙って従うなんて、通りすがりのおじさんの寝言に従うようなものだ。
今は、親の意見が正しいかどうか、ネットで簡単に調べることができる。親に意見されたらまずはGoogleで検索して、意見に妥当性があるのか調べてみてほしい。関連書籍を読んでみてもいいだろう。
それで親の意見が本当に正しいかどうかがわかるはずだ。正しくないなら無視してもいい。
「それは間違っている!」と親に反論してもいい。しっかり話し合うことも大事だ。いずれにしても親の意見が正しいなどということはありえない。
理由3:あなたは親の奴隷ではない
自分の人生をどうするかは、自分で決める権利がある。自分の人生を自分で決められないというなら、それは奴隷だ。
あなたは親の奴隷ではないはず。
親の意見は無視してもいい。自分がやりたいこと、自分が送りたい人生を送ればいい。
親への感謝・恩返しは義務ではない
「親に感謝しなければいけない」
「親に育ててもらった恩がある」
日本には そんな価値観がある。
また親の側も「育てたのだから感謝しろ」という傲慢な人間がいる。
しかし、親に育ててもらった恩を感じるかどうかは、本人の自由だ。義務ではない。
親に感謝するのがあるべき姿なのかもしれないが、義務というわけではない。無理に感謝しなくてもいいのだ。思想の自由は保障されている。
あなたは親の投資商品ではない
「ここまで育てるのにいくらかかったと思っているんだ!」
そんな発言をする親がいる。しかし僕たちは親の投資商品じゃない。育てるのにかかったお金を返済する義務なんてない。
僕はよく「育てるまでにかかった金返せ!」と父親に怒られていた。大学に進学するとき、大学を留年しそうになったときなど、何かあると「これまでかけた金を返せ!」と怒鳴られた。借りた覚えはまったくないのに。
もちろん、なんだかんだで学費を出してくれたので感謝している。
しかし僕は、親の投資商品ではない。親を喜ばせるために生まれてきたわけではない。もちろん不幸にするよりは、喜ばせたいけど、喜ばせることを目的で生まれてきたわけではない。
子は親に借金して育つわけではない。子は株でも不動産でも、ゴールドでもない。需要と供給で値動きするわけでもない。
「成人したら、それまでの養育費を返済すること」などという契約を交わした覚えもない。
「ここまで育てるのにいくらかかったと思っているんだ」などと言われる筋合いはいないのだ。
育ててもらった恩なんてないのだから意見を無視したっていい
「育ててくれた。だから親の意見に従わなければいけない」と考えてしまう人がいるようだが、そんなふうに考えなくてもいい。
前述のとおり、育ててもらった恩なんかない。ものすごく悪い言い方をすれば、親が勝手に産んだのだ。「子どもが欲しい」という親たちの自分勝手な欲求を満たすために。こちらから頼んだ覚えはない。
あなたは親の所有物ではない。ペットでもない。奴隷でもない。あなたの人生は唯一あなただけのものだ。だから親の意見を無視したってかまわない。
あなたの人生は親のためにあるわけではない
とても乱暴で親不孝なことを書いてきたが、わたしは別に親が嫌いなわけではない。感謝している部分もある。
だからといって親に意見にしたがう必要はない。自分の人生は自分で決めていいはずだ。
親の意見に従う人生はつまらなかった
以前僕は、親の意見にだけ従って生きていた。あまり何も考えない人間だったので、ただ何となく従っていただけなのだが、その人生はあまりにもつまらないものだった。
中学も高校も大学も、就職することも、小学生のときもはじめたスポーツもすべて親の意見だ。
自分の意志で選択してこなかった人生は、どこかつまらなく、無味乾燥なものであり、高校も大学もサボってばかりだった。
また就職してもどこか納得感がなく結局、半年で辞めた。
そこで「自分の人生は自分で選択する!」と決断し、今はフリーでWEBメディアを作って暮らしている。
かなり満足している。親の意見に従い続けていたら、このような人生を送ることは絶対にできなかっただろう。
自分の人生は自分で決める
親に感謝する、しないは人の自由だ。嫌ならしなくてもいい。するならすればいい。
しかし感謝することと、親の意見に従うことは別。
親の臨む人生とは真逆に進んでもいい。あなたは親の願望を満たすために生まれたわけではないのだから。